由緒
七面山
 七面山は南アルプス連峰に属する標高1982メートルの豊かな自然美しい山です。
 古来より山麓に点在する村々の守護神として山岳信仰の対象となってきました。
 身延山の西方に位置し、久遠寺からその頂上までは徒歩で20数キロメートルの道のりです。頂上付近には久遠寺境内からも見ることのできる大崩崖があり、そのことから日蓮大聖人は「なないた(七面)がれのたけ」とも言い表しています。
 天候が良ければ、随身門前から富士山の方向に美しい御来光を拝することができます。

随身門前から拝する御来光

日蓮大聖人と七面天女
 1277(建治3)年のある日、御草庵から少し上ったところにある大きな石(現在の妙石坊境内にある高座石)の上で、日蓮大聖人はいつものように南部実長公をはじめとする弟子や信徒に法を説いていました。やがて若く美しい女性がどこからともなく現れ、静かに座に着き合掌礼拝し、大聖人の説法を熱心に聴聞しはじめました。
 弟子や信徒たちが見慣れないこの女性を不審に思ったので、かねてより本来の姿をご存知だった大聖人は「皆に正体を見せてあげなさい」と告げました。女性は微笑みながら「水を少し賜りとう存じます」と応えたので、大聖人は傍らにあった水差しに入った身延沢の水を女性の手のひらに一滴落としました。
 すると、この美しい女性はたちまち本来の龍の姿を現じたのです。
 そして、もとの美女の姿に戻り、「わたくしは七面山に住む七面天女です。身延山の鬼門をおさえて、お山を護る法華経の護法神として、人々に心の安らぎと満足を与え続けましょう」とお誓いになると、雲に乗って七面山に飛び去っていきました。

高座石

日朗上人と南部実長公
 日蓮大聖人は七面大明神のお棲まいになる七面山に登り、大明神をお祀りしたいとお考えでしたでしょうが、残念ながらその願い叶うことなく1282(弘安5)年にご入滅されます。
 その後、1297(永仁5)年9月19日、六老僧の一人日朗上人と南部実長公(この当時には出家して日円上人)はついに七面山登山を果たし、七面大明神をお祀りしました。
 このことより、日朗上人を七面山敬慎院開祖とし、9月19日を開創の日として、毎年大祭を行っています。

七面山大祭

女人成仏とお萬の方
 七面大明神は多くの信仰を集めていますが、もともと女人禁制の七面山がその禁を解かれるのは江戸時代を待たねばなりませんでした。
 徳川家康の側室で、紀伊家の祖頼宣(よりのぶ)、水戸家の祖頼房(よりふさ)の生母である養珠院お萬の方は法華経の熱心な信徒で、ことに身延山22世心性院日遠上人に帰依しました。
 お萬の方は女人成仏が説かれる法華経を守護する七面山への登詣を強く願い、登拝口に程近い白糸の滝で7日間身を清め、ついに女性として初めて登頂を果たしました。
 その法勲を讃え、白糸の滝の傍らには銅像が建てられています。

※女人成仏=古来より地位が低くみられてきた女性も仏になれると説いた教えで、法華経の教説の特色の一。女性には仏になれない五種のさわり(五障)があるとされるが、法華経提婆達多品では女性の成仏の現証として八歳の竜女の即身成仏が説かれる。日蓮大聖人も女人成仏を法華経が諸経より勝れている点として強調している(日蓮宗小辞典・法蔵館より引用、一部改変)。

白糸の滝とお萬の方像