光明照世間
七面山別当より別当 小松 祐嗣
七面山のお堂(みのぶ誌2025年10月号より)
 七面山のお堂は、総じて本殿と称され、摩尼殿、宝珠殿などとも呼ばれますが、正確には本殿、幣殿、拝殿から成る建物です。
 1776年10月12日未明、七面山は大火に見舞われ灰燼に帰しています。とても残念なことではありますが、その際、きっと身延山の御会式法要にも参るつもりであったのでしょう、参籠者70名以上が犠牲となりました。
 私が七面山に勤務を始めた頃は、七面山の建築様式を七面造りなどと耳にしました。七面山は確かに一般的な寺院の本堂とも、神社の社殿ともつかない外見ですので、なるほどそういうものかと考えていたのですが、正確には灰燼に帰す前の建物のようです。それは江戸時代の大工の雛形書や葛飾北斎の絵などに見ることが出来、当時は大屋根の上に、もう一つ屋根があり、明かり取りの窓がつき2階建てのような形をしています。今なお七面造りと呼ばれるのは、全国様々な七面堂がありますが、本社としての敬称であるようです。
 本殿は正面から見まして一番奥の建物になります。1780年に造立され、今でも周りの廊下が外に向け傾斜があり、濡れ縁としての造りであることから、当時独立したお堂であった事がわかります。七面大明神様のお厨子が納められ、ご参拝の皆様がお開帳を受ける際お座りになるお堂です。
 幣殿はお勤めの際、私たち僧侶が座る場所。拝殿は参拝の方々が座る一番広い場所。ともに1785年の造立です。
 そして報恩事業第2期工事を進めていますのが、本殿右側にあります古仏堂です。実は古仏堂の造立年代は確実なものがなく、煤のつき方などから、護摩堂を移築したのではないかという推測もあるようです。今回屋根を開けてみましたところ、杮葺きの痕跡が見つかり、享和元年(1801)の墨書が見つかりました。
 現在、11月落慶に向け、一意専心、各所修復を進めさせて頂いております。皆様のご協力ご丹精お願い申し上げます。