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育恩の峰より
奥之院思親閣別当 望月 海俊
仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をほうずべし―開目抄―(みのぶ誌2016年8月号より)

 お盆の月を迎え、寺院をはじめ多くの地域では、精霊をまつり報恩感謝の誠を表す行事が執り行われます。併せ、夏休みを利用して、墓参の帰省計画をたてるご家庭も多いことと思われます。
 私が少年期の頃のお盆は、師父が長男であったため、自坊へ叔父叔母そして同年代のいとこ等が大勢集まり、皆で墓参りをしたり食事をしたりと大変賑やかでした。家族や親戚のつながりが濃密な昭和の名残とも言え、懐かしく思い出されるところですが、母のいわゆる長男の嫁の苦労をも今更ながら思っております。
 さて、今昔物語にこのような話があります。「親を亡くした2人の息子がいた。兄は悲しみを忘れる忘れ草(萱草)を、弟は思い草(紫苑)を親の墓に植えて日々墓参をした。兄は次第に墓参りをしなくなるが、弟は墓参りを欠かさなかった。墓を守る鬼は、弟の孝心に感じいった、と。」
 思い出は、感謝や反省の拠り所として生きる糧となる。その一方、心を蝕む憂いは忘れたいとも思うもので、その兄弟それぞれの心情には肯けるところがあります。
 まさに、人とは思い出の器だと言われるのも、宜なるかなでありますが、その思い出に対する戒めの右訓、「懸情流水 受恩刻石」すなわち施したことは忘れ、受けた恩は石に刻むように忘れるなを心に留めたいものです。大聖人のご教示にみえる「四恩」その読みが、忘れな草「紫苑」と同音であるのも、私たちが忘れてはならないことを示唆しているようです。
 お盆にて拝する、墓石に刻まれた法号には、お互いを忘れないという心が刻まれているのだとの念をもち、墓参頂きたく存じます。

合掌


※四恩(父母・国・三宝・衆生の恩)

追記 8月15日妙蓮尊尼祥月命日。謹んで回向献修し、山務員一同、来月の報恩法要に備えます。