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育恩の峰より
奥之院思親閣別当 望月 海俊
日蓮は明日佐渡の国へまかるなり。今夜のさむきにつけても、牢のうちのありさまおもいやられて、いたわしくこそ候へ。―土籠御書より―(みのぶ誌2015年10月号より)

 先ず以って先般の思親閣大祭に当たり、本年も多くの皆様に、ご来山頂きましたこと、誌面をお借りいたしまして心より感謝申し上げると共に、大祭の準備等に携わり下さいました皆様に重ねて御礼を申し上げます。誠に有難うございました。
 又、明年の妙蓮尊尼750遠忌に向け、報恩浄行の一環として「母への手紙」を企画し、多くの方に認知頂きましたこと、合わせて感謝申し上げると同時に、より一層のお申し込みをお願い申し上げます。
 さて、日蓮大聖人におかれましても数多くのお手紙が伝わっておりますが、いずれも慈愛に充ちたまた微に入り細にわたる気遣いを感じるものであります。佐渡へ流罪となる前日の10月9日、囚われの身となった日朗上人へ認めたお手紙にもその思いを強くするところです(冒頭記述)。
 ところで、昭和39年10月9日は、日本で初めて開催された東京オリンピックの前夜祭に当たります。そのオリンピックで、マラソンの円谷幸吉選手が、戦後の国民の期待を一身に背負い活躍されました。銅メダルとは言え、陸上での日章旗掲揚は28年ぶり、国民の高揚する様子が想像できます。
 ところが、氏は次期オリンピックの活躍が期待される中、昭和43年27歳の若さで、自ら人生に幕を下ろしました。その遺書は、肉親一人ひとり呼び、虚飾の無い言葉で綴られていました。そして「父母の側で暮らしたかった」と、哀切を込めた心打たれる言葉をもって筆を置いています。
 平凡に過ぎる日常では、そばに居ながらも父母の恩を見逃しがちな私たちです。心の会話でもある手紙をお預りする当院の浄行が、親子の心の紐帯とならんことを願う次第です。

合掌