みのぶ誌をご覧の皆様方、3年間本当に有り難うございました。3月31日で別当職も終わりと相成りました。3年間通い慣れた身延山登山鉄道(ロープウェイ)、お手植え杉を見上げる参道など、本当にお世話になりました。育恩の御祖師様にも深く感謝申し上げ、今後は陰ながら久遠寺、思親閣、七面山等のお手伝いをさせていただきたいと思っております。
私が第51代別当として就任したのが3年前の平成23年4月1日、別当交代式を行ったのが3月23日でした。思い返すと交代式の約10日前の3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生し、日本国中が不幸の底に落ちました。3月23日の交代式も計画停電の影響で思親閣では中止となり、身延山久遠寺の棲神閣祖師堂で行われ、質素な中にも厳かな式を井上総務様導師の元執り行っていただき、本当にありがたく感謝の思いでいっぱいでありました。
奥之院大祭「龍口御法難会」
日蓮大聖人お手植え杉
お正月の恒例となった餅つき
思親閣からのダイヤモンド富士
合掌
此の度、奥之院思親閣第52代別当職を拝命致しました松井坊住職の望月海俊と申します。何分浅学非才でありますので4月よりの職務を前に、その重責を深く感じているところでありますが、経験豊富な山務員の方々に恵まれました。参拝にお越しになります皆様に「身延山に来て良かった、思親閣を参拝して良かった」とご満足頂けます様、山務員と供に精進していく所存でございます。
さて、皆様既にご存知の事と思われますが、思親閣は日蓮大聖人がご両親を慕い身延山山頂に登られ故郷である房州小湊を仰いだ思親大孝の霊場であります。したがいまして日蓮大聖人は身延山在山の間多くのご遺訓をお残しになる中、親子の在り方を数多くお言葉に表わされております。その中で、上野殿にお書きになりましたお手紙の一節を皆様にお伝えしたいと思います。
「親に良き物を与へんと思ひてせめてする事なくば、一日に二、三度笑みて向へと也」
このお言葉には親と子、供にその存在に感謝を表す言葉が示されております。この無償の思いこそが所謂思いやりの源と思われ、日々の生活の中で人を思いやる事こそが菩薩行成就の第一歩となり、更に誰かの為に何かができる事が、私達の生きがいとなるのです。
日蓮大聖人は国を思い人を思い、どんな迫害にも耐えられ、ご両親の感謝を忘れる事なくこの身延山山頂に登られ祈り続けられました。これを思う時、時を経て日々全国より参拝にお越しになる皆様の思い、願いを一生懸命身延山山頂にお棲いになられる育恩の祖師にお伝えする事こそが、私達山務員に与えられた職責であるとしっかりと胸に刻み努力して参りたいと思います。
これからの3年間、皆様のご支援ご厚情をお願い申し上げ別当就任のご挨拶に代えさせて頂きます。
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