母への孝養を重んじていた日蓮聖人は、御遺文のなかでしばしば故郷の両親を恋慕する様子を書き留めています。日蓮聖人が身延山で執筆した『光日房御書』では、三度に及ぶ幕府への諫言が聞き入れられていないことを恥じて故郷の房州へと戻ることを躊躇いつつも、立正安国実現の暁には両親の墓所への参詣を強く願っています。また、房州のある東の方角から風が吹き雲が立てば、庵室を出てその風を受けつつ故郷を懐かしむ様子も記されています。伝説によれば日蓮聖人は身延に入山になられて以降、足繁く身延山山頂へと登り、房総の方角にむかって両親への回向を手向けたそうです。日蓮聖人が入滅された翌年には、身延山山頂に奥之院思親閣の堂宇が建立され、今に至るまで多くの人が孝養の聖地として参拝しています。かつて、身延山山頂へ登詣するには、約五・六キロメートルの険しい登山道を自らの足で登るほか手段がありませんでした。そこで高齢者や持病のある方などの参詣甲州身延名所絵巻本文読み上げ父
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