meishoemaki2508
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甲州身延名所絵巻蓮聖人が身延山へ入山された文永十一(一二七四)年、まずは三間四面の簡素な御草庵で生活を始められました。三年後の建治三(一二七七)年に執筆された『庵室修復書』には「今年は十二のはしら(柱)四方にかふべ(頭)をな(投)げ、四方のかべは一そ(所)にたう(倒)れぬ」と記されており、この頃には既に建物がかなり傷んでいたことが窺えます。それから更に四年経った弘安四(一二八一)年十一月二十四日、天台大師智顗の命日に合わせて、ついに十間四面の大堂が落慶されました。これに際し、延年の舞や大師講といった行事が行われたという記録も御遺文に見ることができます。そして、日蓮聖人がこの大堂に名付けたのが「身延山妙法華院久遠寺」です。現在、西谷の御廟域にある玉垣に囲まれた「御草庵跡」こそ、この大堂の旧跡とされています。その傍らに佇むのが、大堂の建立で残った木材を使って建てられたと伝わる「法界堂」です。法界堂は、日蓮聖人がお住まいだった御草庵の形を後世本文読み上げ日

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