昭・日朗・日興・日向・日頂・日蓮聖人が身延在山中に認めたお手紙には、信徒より供養として送られた野菜に対する返礼が多くあります。中には、それらの野菜を「珠」や「甘露」などと喩えてまで感謝を述べられている様子からは、食生活に関してあまり豊かではなかった身延山での生活を窺うことができます。日蓮聖人やその弟子達は、文永甲 日家による給仕に頼り続けることに十一年に身延山へ入山して以来、地頭であった波木井實長公やその一族らの奉仕によって衣食住を保っていました。しかし、波木井心苦しさを感じた日蓮聖人が、少しでも負担を軽減させようと自身の弟子の中でも筆頭の六老僧(日持)達に鍬を握らせ、御草庵の裏手、身延川の右岸を開墾させました。その畑を「六老畑」や「六祖園」などと呼んでいます。「瓦礫より外には物なし」と日蓮聖人も仰る通り、身延は岩石の多い地質であるため、耕作に適した土壌を探し当てることに難儀したことでしょう。また、鷹取山中腹にも同州身延名所絵巻本文読み上げ
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