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育恩の峰より
奥之院思親閣別当 池上 玄裕
両親追慕(みのぶ誌2012年12月号より)

 身延山山頂奥之院思親閣は一足先に冬に近づいてまいりました。周りの山々の木々も緑から黄色、赤に変化し始め多くの写真家、山登りの方々の姿が見受けられ4月上旬の桜の見頃と同様です。また霊峰富士もすっかり雪を被り大変美しい姿を見せており、これから来年4月頃までは連日のように景色のすばらしさが体験できますので是非お参り下さい。
 日蓮聖人は御年53歳の文永11年5月12日に鎌倉を去りこの身延山にお入りになりました。身延に入る前に一度生まれ故郷の小湊(現在の千葉県鴨川市)の御両親様のお墓参りをしたいと、佐渡流罪中より思っていましたが、成功して故郷に帰れとは古事の習いでありますので、3度の諫めも採用されないまま故郷へ帰ることは不孝の者となりましょう。ただ、帰ることができないと考えていた佐渡流罪も赦されて、再び鎌倉へ帰ることができたのですから、また幕府が自分の意見を採用するときもあろうかと思われます。そのときこそ両親の墓へお参りしようと思いますので、今は故郷に帰りません。しかし、さすがに両親の眠る故郷は恋しく、吹いて来る風、立つ雲が東方からといえば、思わず庵を出て身に触れ庭に立って見るばかりです。と『光日房御書』に書き記されておりますことから日蓮聖人は常に東の方角、つまり千葉の両親のお墓を想像していた事が分かります。そして折に触れお弟子の方々と一緒に身延山山頂に登られ富士山の方角の彼方小湊の御両親様、お師匠様に御回向されたと伝わっております。皆様方も御両親様、お世話になった方々の御恩をしっかり胸に刻んで下さい。