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◆波木井の御影
藤原親安が南部実長の館で写したという日蓮聖人の画像。1281年、日蓮聖人60歳の姿であるといわれています。

身延山久遠寺の由緒 日蓮聖人の生涯 お題目を唱えるということ 「法華経」とは

久遠寺縁起

日蓮聖人の生涯 我、日本の柱とならん 我、日本の眼目とならん 我、日本の大船とならん

「法華経」の弘通に命をかけた、日蓮聖人の波瀾の人生をご紹介します。

鎌倉での奇跡

 それから4年後の1268(文永5)年の正月、日蓮聖人が8年前に「立正安国論」で予言したとおり、日本の服従を求める蒙古からの国書が届きました。これにより日蓮聖人は他宗批判をさらに激化させ、執権北条時宗に再び「立正安国論」を献上します。さらに幕府や他宗の代表11箇所に書状を送り、公場での討論を求めましたが、またもや黙殺されてしまいます。1271(文永8)年には、他宗の人々が日蓮聖人とその門下を幕府に訴え、幕府も迫りくる蒙古襲来の危機感とあいまって、日蓮聖人とその門下に徹底的な弾圧を加えます。

同年9月12日、日蓮聖人はついに捕らえられ佐渡流罪となります。しかし、これは表向きで、実は途中の龍口(たつのくち)において侍所所司平頼綱により密かに処刑されることになっていました。ところが、まさに首を切られようというその瞬間、奇跡が起きます。突如、対岸の江ノ島のほうから雷鳴が轟き、稲妻が走りました。これに頼綱らは恐れをなし、処刑は中止になったといわれています。