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◆波木井の御影
藤原親安が南部実長の館で写したという日蓮聖人の画像。1281年、日蓮聖人60歳の姿であるといわれています。

身延山久遠寺の由緒 日蓮聖人の生涯 お題目を唱えるということ 「法華経」とは

久遠寺縁起

日蓮聖人の生涯 我、日本の柱とならん 我、日本の眼目とならん 我、日本の大船とならん

「法華経」の弘通に命をかけた、日蓮聖人の波瀾の人生をご紹介します。

「法華経」こそ末法救済の唯一の経典

 日蓮聖人は、1222(貞応元)年2月16日、安房国東条郷(現在の千葉県安房郡天津小湊町)でお生まれになり、「善日麿」(ぜんにちまろ)と命名されました。1233(天福元)年、日蓮聖人12歳のとき、生家近くの清澄寺(せいちょうじ)にのぼり道善房に師事、「薬王丸」(やくおうまる)と改名。16歳のとき正式に出家得度し、「是聖房蓮長」(ぜしょうぼうれんちょう)と号されました。

若き日の日蓮聖人は、清澄寺にて本尊の虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となしたまえ」と祈願されて以来、鎌倉・比叡山・高野山などを遊学し、ひたすら勉学に励まれました。諸経・諸宗の教学を学んでゆく中で、「法華経」こそが末法の世のすべての人々を救うことのできる唯一の経典であることを確信されます。

そして、十有余年にわたる遊学を終えて恩師道善房の住する清澄寺に戻った日蓮聖人は、1253(建長5)年4月28日早朝、清澄山の旭森(あさひがもり)山頂に立ち、太平洋の彼方から暁闇をやぶってつきのぼる朝日に向かって高らかにお題目を唱え、ついに立教開宗の宣言をされ伝道の誓願を立てられたのです。このとき日蓮聖人32歳、同時に名を「日蓮」と改められました。